落水記(2)
投網
人間はどうも、附和雷同性というか、ひょんなきっかけから、思いもよらない世界へ深入りするものである。
私が俳優になったのも、全くの偶然である。学生の頃、たまたま小石川の雑司ヶ谷へ移り住んだとき、隣に竹中荘吉という新劇の演出家がいた。小説家志望の文学青年は、たちまち演劇の虜となり、文芸部、演出家の裏方をつとめるうち、人手不足から端役をふりあてられ、いつのまにか、主役をやるまでになった。大学を出ても、就職覚束ない、あの不景気のどん底で、道頓堀の舞台に出演出来たのは、桃谷という婦人の推薦があったからで、もし私が雑司ヶ谷に住まず、桃谷さんの斡旋がなかったら、私は、俳優にはならなかったであろう。人生の大事すらこんなことで決ってしまうのである。テニスも野球も釣りも、そもそものきっかけは、大概そんな風な偶然が多い。
職業俳優になって間もなく、京都の南座に出ているときのことである。舞台裏で出を待っていると、小道具部屋で、網針(あばり)の手付き見事に、投網(とあみ)を修理している老人を見かけた。渋のよくきいた、つぎはぎだらけの、真っ黒な網であった。
「釣りみてえな辛気(しんき)臭いもの、わしは大嫌いでな。これならあんた、はいじゃこ(関西で、やまべなどの小魚のこと)でも何でも、一度に、二十でも三十でもとれますわ」
と、聞いて、私はたちまち心が踊った。実は、京都へ行くたびに、手近の賀茂川ではいじゃこを釣っていたのだが、狡(ずる)かしこくて、一日やっても、いくらも釣れなかった。
「どこで売ってるの、そういう奴?」
「みんな、自分で編むんだすがな」
「何日ぐらいかかるの、そいつを編むのに?」
「さあ、仕事の合間やさかいな、二ヶ月やそこいらは、らくにかかりまっせ」
では、今直してるその網を譲ってくれとせがんだが、老人は、愛用の品を手離す筈もなかった。さあとなると、一刻も辛抱出来ない私の気性に納得がいったと見えて、ある日、老人が、六帖敷の投網を探してきてくれた。彼の仲間が、ちょうど編み上げたばかりの新品で、極細の絹網は、新しい渋で、美しく金茶に輝いていた。素晴しい美術品である。次の日は、楽屋入りを早めて、加茂の河原へ降り、老人から、投網法の特訓をうけた。
しかし、難関があった。投網を打つには、鑑札をとらねばならなかった。早速、戸籍謄本をとりよせ、京都に寄留の手続きをとり、鑑札をとるまでには時間がかかった。しかし、賀茂川は底が荒れていて、毎日のように網を損傷するのには困った。老人は、琵琶湖ヘ行けという。そこで今度は、知人に寄留先を紹介してもらい、籍を大津に移して、滋賀県の鑑札をとった。主な漁場は、琵琶湖西岸の柳ヶ崎で、暇さえあれば、そこで網をうった。
柳ヶ崎ではなつかしいところである。今でも近所まで行くと必ず寄ってみるが、浜大津から車で約十分、今はぎっしりと、ヘルスセンターやドライブインが立ちならび、あまりの混雑にほとほとがっかりさせられるが、昔は、柳ヶ崎の突出部に、ぽつんとホテルがひとつだけあった。砂浜が美しく、夏場はまことに品のいい水泳場にもなっていた。
波打際から打ったのでは、網の先端の落ちるあたりが深く、手練の冴えぬとあって、魚はくぐって沖合ヘ遁走してしまう。ついに、胸のあたりまで水に立ちこみ、岸辺に平行に打つことを覚えた。さらに工夫をこらし、貸ボートの上から岸に向かって打つに及んで、とうとう、一度に二十尾を越す成績をあげるようになったが、私の投網は、網目が指の爪にひっかかっただけでも切れるほど華奢であったから、ボートのクラッチにひっかけて、屡々大穴をあけてしまった。
ボートからの投網はなかなか骨が折れた。立って打つことになるが、舟の安定が悪いので、打った弾みに投網もろとも自分も飛込んでしまう。大した危険につながらない湖水での落水はいかにも滑稽で、大笑いの種となる。
琵琶湖七景のひとつ、瀬田の唐橋の下を、たっぷりと水を湛えた瀬田川がゆるやかに流れている。ここに、昔、遊山船があり、客のために投網をうち、獲れた魚を天麩羅に出した。ある贔屓(ひいき)客の御招待で、その屋形船の中は早くも酒盛となっていた。私は、酒がのめないので、舳先(おもて)に出て、船頭さんの投網に見惚れていた。いかにも重そうな、十帖敷の上もあろうかという大物が、まん丸く、ぱあッと見事に花咲いて、しかも、一番遠い網の裾の方から、先に着水して行く。商売とはいえ、鮮やかなものである。
「ちょっと、僕にもやらせてみてくれませんか」
「とんでもない。これは旦那、商売人だけ許されてまんね。素人は、やったらあかんということになっとるんですわ」
私は、にやりと笑って、鑑札を見せた。
「僕はこれが好きでね、暇さえあればやってるんだが、ほんの一、二回でいいんだ、僕にやらせて下さいよ」
何しろ、瀬田川の投網ときたら、はいじゃこだけではない、鯉や鮒の大物が続々とかかってくる。私も一度は、その手応えを味わいたかった。
船頭はびっくりして私を眺めていたが、
「そやけど、何ぼだす、旦那の網の大けさは?」
と、きいた。
「六帖です」
「そらあかん。土台、重さが違いますがな。無理や、素人さんには」
騎虎の勢い、私はもう、あとには引かなかった。念のため、万一に備えて私は猿又ひとつになった。網を捌いてみると、なるほどその重いこと、一抹の不吉な予感が胸をかすめた。客は酒盛をやめて、じっと見守っている。晴れがましさに一瞬たじろいだが、ええい、ままよとばかり、渾身の力をこめて、左から右へ、ぱっと大きく打った。網は見事に輪を描いてひろがった。
「巧い!」
と、誰かが手を拍った。しかし、次の瞬間、網にひかれるように、網につづいて、私も、どんぶりこと水に落ちていた。船の中は、総立ちになった。間髪を入れず船頭が飛び込んだらしい。私が水から首を出し、照れ笑いをしている鼻先へ、船頭の、いかめしい顔がぬっと泳ぎついた。
「大丈夫(だいじや)おへんか? ほら、わてにつかまんなはれ」
「大丈夫だよ、心配はいらん」
「かめしまへん、ほら、わてにつかまんなはれ!」
船頭の、スパナのような手が、否応なしに私の体をつかんで、船へ泳いだ。
「えらい、すまんことだしたなあ」
「いや、すまんのは僕の方だよ」
「でもまあ、どこも怪我がのうて、ほんまによろしおしたなあ」
船頭は、どこまでも真顔で、せっせと私の体を拭いてくれた。
船にようやく笑いが戻ってきた。
「いえ、わてはな、人間の一人や二人、どうでもよろしいねん。網や。網流されたら一巻の終りや思うたもんやさかい」
時を得た船頭の諧謔に一座は爆笑となったが、世にいう生業法、若気の至りとは、まさにこのことであった。