へら竿のすべて(2)

2020年2月17日

竹というもの


 竹は、熱帯、亜熱帯に産し、約四十属六百種、世界最小といわれる福岡県方呂島笹(おろしまざさ)の可憐から、孟宗竹(もうそうちく)の巨大に至るまで、種類は実に多い。日本は、北から南まで竹にめぐまれているが、釣り竿としては、主として、布袋竹(ほていちく)、淡竹(はちく)、矢竹(やだけ)、女竹(めだけ)、黒竹(くろちく)、真竹(まだけ)などが用いられている。

 一応、竹の断面図を掲げておこう。

 図中、維管束(いかんそく)は、普通スジ、センイと呼ばれているもので、そのひとつひとつが、節管・道管をとりまく靭皮繊維群によって構成され、外側表皮層に近づくほど稠密(ちゅうみつ)に、内側厚膜細胞層に近づくほど粗散に並んでいる。柔組織は、生材時、水分を満喫している海型の分布と考えてよく、その中に島型の維管束を包んでいる。

 これら各部のバランスと質によって、竹に特有の、弾力性・剛健性・粘靭性・軽量性・分割性・美観性などに相違が現われるのであるが、優秀な原竹は、排水のよい砂質土壌の、南面もしくは東南面に産するといわれている。それもある程度の標高を必要とするらしい。

 へら竿は通常、真竹の削り穂、高野竹の穂持。三番(穂持下)には矢竹もしくは高野竹、以下元上・手許には矢竹が使われていることはご承知の通りだが、名匠が、これら原竹の入手、およびその後の竿に切り組むまでの管理保存に、どれほどの精力と時間を注いでいるかは、意外に知られていない。

 現在、紀州の橋本から清水にかけて、へら竿作りを業とするもの約二百軒といわれているが、その膨大な需要に応じて切り子と呼ばれる人たちが、毎年秋から冬にかけ、竹山から原竹を切り出してくる。近年はよほど山奥へ入らないと良材がないらしく、一部の切り子は島根あたりへ移住して、そこから紀州へ竹を送りつけるという話も聞いている。名産紀州ですら良材は払底しつつあるという。

 一方大阪あたりは、昔から竹材店が栄えていて、あらゆる種類の竹を、ひろく各地から集めていたが、これは主として建築用材の販売が目的であったから、近年はそのうちの一、二を残して殆ど廃業してしまったらしい。もともと、真竹は南畿地方のものが極上品といわれ、高野竹は、その名の通り紀州の高野山地方に最も多く、矢竹も良質のものが関西から九州にかけて豊富であることから、へら竿の原材としての竹は、一応大阪の竹材店で求めることが出来る。しかし、ここでも品不足は近年ますますひどく、入荷のたびに、足しげく通いつめてみても、良材に行き当たるとは限らない。

 結局は竿師自身が、直接山野を跋渉して竹をもとめなければならないということだ。名匠といわれるほどの竿師は、多かれ少なかれ、この涙ぐましい努力を払っている筈だが、それに要する時間と労力の莫大さは、ただでさえ寡作の、良心的な名匠の生活面を破壊しかねないのではないか。

 矢竹と高野竹は束にまとめてある。大阪あたりでは、普通、約八寸径のものを一束いくらで取引しており、竹の太さによって本数はきまっていない。大体、矢竹は二百本ぐらい、高野竹は五百本ぐらいの束になっている。穂先用の真竹は、一本いくらで、束にはなっていない。

 矢竹と高野竹は、竿師自らが一本一本切り出したものでない限り、まず束を解いて選別をやる。選別の見どころだが、根本的には粘靭剛健であること。つまり撓げて強く、弾力をもってもとの姿勢に帰る復元力の強さということになる。形でいえば、節がよく乗っていること、節が低いこと、皮張りたしかで直なること、多少の屈曲があっても火入れ作業による完全な矯正が利くもの。高野竹については、特に、玉口から第一関節にかけて直なること、ねじれのないこと、断面が正円なること、節の配列に乱れがなく間隔適当なること、破損のないこと、特に、枝落しの際の痕が節を削っていないこと、虫喰や立枯れのないこと、その他いろいろあると思うが、選別にあたっての極端なきびしさが、まず名匠の資格のひとつであろう。

 栽培でない自然竹の中に、そんな理想的な材料がある筈もなく、きびしくやれば際限のない仕事だから、結局、一束全部捨ててしまうことも珍しくない。よい束に行きあたって、一割も拾えれば上等である。

 真竹は、大体周囲一尺から一尺二寸ぐらいの古竹を求める。見どころとしては、節の低いこと、断面が正円であること、直なること、節の上下を通して表皮の面が一直線水平であること、節間が一尺から二尺ぐらいであること、皮張りたしかで肉厚であることなど、削り穂の性能上、特に剛健粘靭な材質を選ぶのは勿論である。


 選別に及第した竹は、風通しのよい日向をえらんで竹架を組み、一本一本行儀よく立て並べ、風に飛ばされないように抑えをして天日乾燥にかける。

 だいたい竹は、秋も深く一霜おりた10月の後半から年内のうちに伐採するのが最もよいとされているが、天日乾燥は、それにつづく厳冬から春にかけて行う順序になる。その間、風雨にさらすことは差支えないが、次第に温湿の度を加える四月上旬頃には、取りこまなくてはならない。梅雨どきの雨に打たせるなどは禁物で、あたら名材を廃物にかえてしまうこともあるという。

 竹の乾燥ということは、竹自体のもっているエネルギーを充分に残しながら、しかも竹自体の移ろいやすい変化を押えて安定させ、一層の良材に仕立て上げることに目的があると思われる。

 ところが、竹は一本一本個性が強く、厳密にいえば同じ竹は一本もない。したがって、竹に対するあらゆる処理は、常に、相対的でなければならず、天日乾燥の度合も、竹の年齢・性質・その年の季節によって一律にはいえない。経験と勘により、乾燥のきいたものから順次取り込んで行くわけだが、一般的には、一ヵ月から三ヵ月ぐらいでよいということになるのではないか。

 ついでに、「晒し」(さらし)という乾燥法にもふれておこう。これは、他の釣り竿にはよく用いられる方法だが、へら竿に関しては、矢竹の新子(しんこ=当歳もの)に限って行う。洗剤を含まない磨粉などで表皮をよく磨いて天日にさらすと、緑の色素が抜けて真白に美しく、繊細軽妙に仕上がり、洒落た味のへら竿の材料になる。これは晴天一ヵ月もあれば充分だが、強度の点で、使用に堪えるものは、まず少ないと思わなければならない。

 取り込んだ竹は、分(ぶ=太さ)により、用途により、産地により、年齢により、それぞれ分類整理してまとめ、あとは、風通しのよい、変化の少ない、湿気の少ない倉庫の中で、日光の直射をさけて、ひっそりと貯蔵する。

 伐採期が適切で、選別がきびしく、乾燥がきき、貯蔵の条件がよければ、まず虫にやられたり、黴(かび)が生えたりすることはないらしいが、やはり殺虫防黴の薬剤を使って、充分に保護することを忘れてはならない。うっかりして、倉庫中の竹を全滅させる例はいくらでもある。凄まじいもので、あの小さな虫の喰い荒らす音が、ちょうど「蚕」(かいこ)が一斉に桑を喰うときのような、遠い松籟(しょうらい)のようなハミングとなって耳をうつ。こうなっては、泣いても泣ききれない。





 真竹は、必要な部分だけを切り取り、二等分に割り、さらに二等分に割り、次第に細く丁寧に分割した上で、陰干しにしておく。

 世上、削り穂の職人があって、あら仕上げした削り穂を求めることもできるが、原竹の吟味が不充分であったり、工程を安易にするために水に浸して削ってあったりで、やはり自らが一本一本、原竹から分割し、よく乾燥させ、丹念に削り上げるのが最上である。

 以上の過程が一応、竹の入手およびその管理方法であるが、竹は切りとられた後も脈々として生きつづけるというのが名匠の実感であって、苦心して得た良材もそのままでは決して良材でなく、管理保存の適正を得てはじめて良材となるその微妙さは、数々の実験の末に、それぞれの秘法として会得されるのであろう。

 昔から、当歳物は一年、三年竹は三年、五年竹は五年で乾燥するといわれていることの意味や、貯蔵の途中で、「あら火」と称する灼きを入れてみる試みなど、乾燥といっても度合の問題で、あくまでも相対的な操作というわけだ。

「なんぼ名竿かしらんが高すぎる、たかが竹じゃねえか」

 つい。われわれ釣師がぼやきたくなる物価高の昨今であるが、何百束何万本の中から、一本一本手にとって吟味選別し、それを幾日もかかって乾し上げ、取り込み、さらに何年も貯えた竹のうちから、実際にへら竿として組み合わされ、商品となるのはそのうちの、まず二割ぐらいのものであろう。

 最初の数量からいえば、竿一本についての最終的歩留りは、せいぜい一厘か二厘ということになる。材料費の上に、管理保存のための労力と時を人夫賃として加えてみれば、とても「たかが竹」どころの竹ではないのである。