へら竿のすべて(7)

漆(うるし)の妙


 まず、漆というものについて、ごく簡単にふれておこう。

 漆の木は東洋の特産といわれ、日本・中国・台湾・ビルマ・タイ・インド・ベトナムなどが主な産地らしい。ある種の漆は、北アメリカにも、地中海方面にも見受けるという話もきくが、塗料として、漆が現実に採取されるかどうかは確かではない。同じ漆でも産地によってそれぞれ種類がちがい、純度・品位は、日本物が最高といわれている。生産量も少なく、外国の輸入物に比べて五倍以上十倍も値が張る場合がある。

 ゴムの樹からゴム液を採取するのと同じように、漆の樹幹にスジを刻み、滲み出てくる樹液を集め、ゴミなどを漉すと、乳白色のどろりとしたものになる。これを生漆(きうるし)と呼ぶ。

 この生漆を火にかけ、とろとろと撹拌していくと水分が抜け、精選される。これを透明漆(すきうるし)という。透明漆に、絵具の雌黄、或いはクチナシの実の煮汁を加えると、梨子地(なしじ)漆、鉄分を加えると蝋色漆、生漆の極上物に伊勢早、また、桐油を加えた塗立漆(ぬりたてうるし=塗りぱっ放しのまま、研(と)ぎ出しをしなくてよい漆)その他、製品としては、黄生味(きじょうみ)・石漆(せしめ)・上花(じょうはな)・箔下(はこした)など、いずれも、純度・品位・混入物の多少・質によって名称が異なっており、関東と関西ではまたちがったりする。同じ名称の漆にも各種の等級があり、市価も大きく違う。

 色漆は、すべて顔料をまぜてつくる。黒色・褐色以外の色は、製品として売っていない。漆というものは、空気と絶縁しておけば何千年たっても変質しない強烈な塗料だが、いったん色粉をまぜると変化が早く、長い保存に堪えないため必要量だけをその都度、自分で作らなければならない。

 大きな、厚い硝子板の上に、色粉と漆をとりだし、ヘラとかローラー、或いはスリコギのようなもので、丹念に気長に万遍なく練り合わせる。

 望みの色をつくるためには、どの漆を使ってもよいのだが、やはり上質のものがよい。色粉も上質でないと発色がわるい。発色をよくするためには、大概、茶褐の色の薄い朱合(しゅあい)漆が使われる。たとえば、朱とか白のような明るい色漆を作る場合、いかに上手にやっても、漆本来の茶褐色が混入されるので、色が濁ってしまう。長い日時をかけ、乾燥が利くにつれて、鮮やかな朱色、白色が発現してくるのだが、塗った当初の白などは、下手をすると、家具そっくりの茶褐色になってしまう。この辺が、大きく技術の分かれるところで、調合の度合・練り合わせの加減・塗りと乾燥の熟練など、なかなか面倒な呼吸を必要とする。

 漆作業は、ひと口でいえば、塗って乾かすことに尽きるわけだが、この、漆が乾く、或いは漆を乾かすという点が、なかなか普通の概念では律しきれず、奇妙なものである。

 漆の主成分は「ウルシオール」というものだそうで、空気にふれると、酸素を吸収して酸化作用を起し、液体から固い固形に変ずる。それが即ち、漆の乾燥ということで、洗濯物などの乾燥とは根本的にちがい、漆の場合は湿気乾燥である。従って厳寒期の異常乾燥期は極めて乾きが悪く、むしむしした雨期には最も早い。湿度は七、八十パーセントが最適といわれている。湿度だけでいうと、摂氏二十五度から三十度ぐらいが最もよく、四十度以上、四度以下ではほとんど乾燥しない。もっとも、百度を越す高温になると、湿気を必要としないで大変よく乾く。昔から、鎧(よろい)、兜(かぶと)などに漆をほどこす場合は、高温による一種の焼付けを行ったらしいが、竿作りには、竹を傷める関係で、高温方式は採用できないことになる。

 そこで、ムロ(室)と呼ばれる密閉乾燥器が必要になってくる。湿度と温度を人為的に有効に加減するためと、極端に敏感な漆が容易に空中の塵埃を吸ってしまうので、それを防ぐために、ムロはどうしても必需品である。

 ムロは、どうやら漆風呂から転化した呼称らしいが、これまた、各自さまざまな工夫を凝らしてつくっている。最も常識的には、長持のような箱を、ムロに使っている。

 杉などの、水分を吸収しやすい箱の内部を、和紙などで、ぴったりと目貼りをし、さらに、メリンスなど、やはり水分を吸収しやすい布を張りめぐらし、その内部の上下左右全面に霧をふき、蓋で密閉し、湿度を高めて乾燥させる。冬期などは、いくら霧をふいても温度が低すぎて湿度が上がらないから、部屋を暖めるなりして加減をしなければならない。

 また、水焼けと称し、湿度が多すぎて失敗する場合もあるから、そのときどきの、温度・湿度に合わせて、その都度、臨機の処置が肝心だ。水の代わりに、日本酒をふきつけると、さらに有効に、乾燥が早いということもきいている。

 また、乾燥の効率は、漆自体の品質によってもちがう。良い風土に育った漆、採取時季の良い漆(夏期)、精選を重ねたもの、要するに上物ほどよく乾く。色漆は、一般に乾きがおそくなる。

 しかし、あまりにも人為的な小手細工は、自然に反するためか、優良な結果が得られないようで、やはりどこまでも自然な、無理のないやり方を選ばなければならない。

 一説には、地下ムロが最高だともいわれている。仕事部屋の地下に深い穴をほり、地熱による湿気に頼るのは、極めて自然な方法であり、誤ちなく、良い成果が得られるらしい。

 しかし、これも地質や風土の関係があり、関東などは、地下ムロ方式の適地とはいえないようだ。

 充分に表面の乾燥した漆は、もはや外に取りだしてもゴミを吸わないから、密閉したムロから取りだし、別の、温度による普通の乾燥装置にかけて、漆内部の乾燥を促進させる。ざっとこういう寸法である。

 漆の完全な乾燥には、最低三年もの日時を要するといわれているが、完全に乾燥した漆は、無敵の強靭さを発揮する。酸にも塩にも犯されない。電気を通さない。揮発油などにもびくともしない。水も吸わず、火にも強い。二千年前の発掘品などを調べてみて、この強烈な塗料の驚くべき特性は、充分に確認されている。最近、各種の素晴しい化学塗料が発見され、その方面の進歩には目を見張るものがあるが、まだまだなんといっても漆には敵わない。極上物の日本漆を使ったへら竿の見事さは、その堅牢性、美術性、竹材との調和性、いずれをとってみても、絶対他の塗料の追随を許さない独自のものだろう。

 漆は、陶器の皿とか硝子板の上に、少量ずつ小出しにして使う。容器の中で、粒ができたり、膜が張った場合は、漉紙(こしがみ)で絞り、きれいに濾過して使うのがよい。

 漆のため、各種の筆や、板刷毛がある。筆は普通の形の穂筆だが、板刷毛の方は、たばねた毛足が、薄板で包んだ柄の中全部を通して、長く仕込んであり、板の先端を削り、穂先を少し現して使用する。ちびてくると、また少し板を削って穂先を出し、毛先を整えて使用する。高価なものだが、大事に使えば、短くなるまで十年も使えるという重宝なものだ。

 しかしこれは、なれないうちは使いにくいもので、油絵筆などの方がよっぽど使いやすいというひともある。

 漆作業に、やりっ放しは絶対禁物だ。漆の入っている桶(容器)、チューブは、充分に空気と絶縁した上で、蓋をしっかりしめなければならない。うっかりすると、どんどん硬化して、使いものにならなくなってしまう。

 筆や刷毛は、シンナー、片脳油などで充分に洗いおとしたつもりでも、まだ漆が残っていて、たちまちのうちに硬化してしまうから、種子油(たねあぶら)などに浸して、防御しておかなければならない。漆の付着した手なども、シンナーなどで充分に洗い、清めておいても、あとになってみると、地肌に黒々と浸みこんで、もはやなんとしても、一皮剥けるまではおちない。

 漆瘡(うるしかぶれ)という奴は漆が酸化作用を起こして乾燥する道中に起る現象だから、さらに微温湯と石鹸で手をよく洗い、乾燥を早めておくなど、自分はかぶれなくとも、家人や友人をかぶれさせない用心も必要ということになる。

 完全に乾いた漆は、決してカブレを呼ばないものだ。漆作業は、なかなか暇のかかる仕事で、途中で小用に立つことも珍しくない。その結果、とんでもない場所に珍異変を引き起こすなどの、お笑い悲劇はちょいちょいお目にかかるところ。自信のないひとは、顔面や手など、皮膚の現われたところへクリームやコーチゾンなど油性のものを塗り、手には手術用のゴム手袋をはめて臨むのが、まず無難である。





 糸巻きが終ると、「糸止め」の漆を塗る。接着力の旺盛な、生漆(きうるし)が糸止めには最も適している。しかし、かなり強い茶褐色、或いは青みがかった濃い色合に上がるから、梨子地(なしぢ)仕上げや、色物を目的とする場合には、生漆はまずい。重ね塗りをした下に、生漆の色が透けて、狙いの、良い色がでないからだ。特に、梨子地漆は、仕上がりのあと、完全乾燥するにつれ、琥珀(こはく)色に美しく透き通るのが特色だから、糸止めから仕上げまで、すべて梨子地漆で通すのがよい。色物、特に明るい白とか朱などの場合も、始めから、ずばり目的の色漆を塗る方が発色がよい。

 この糸止めは、糸を竹肌に接着すると同時に、漆の重ね塗りのための一番始めの、下塗りを兼ねている。どうせ、下に隠れてしまう漆だから、粗雑に塗ってもよいなどと考えたら大間違い。竿作りはどの作業もそうだが、ひと呼吸も抜く場所がない。粗雑に塗ったものは、いくらあとから精密にやろうとしても、その一度の粗雑さがたたって決して巧くいかないものだ。口巻きなり段巻きの化粧の目印通り、かっちりと丁寧に塗らなければならない。目印の線をはみ出さないよう、むらのないよう、厚塗りに過ぎぬよう、丹念に塗っていく。下手をすると、乾いたとき皺がよったり、泪(なみだ)といって丸い溜りができたりする。

 総じて、漆作業は、薄く何度も重ねるのがよいとされている。中国には唐宋の時代から堆朱(ついしゅ)と呼ばれる漆製品が見受けられるが、これなどは、何年もかかって、漆の薄い層をいくつもいくつも重ね、厚いものでは数センチにも及ぶ、漆だけでできた美術品である。特に色漆を重ねたものは、断面に見事な文様を現わし、石のように堅牢、長年の風雪にも変質せず、什器、印材その他の実用にも供せられている。日本にもいち早く技法が伝わり、多くの名人がでたときいているが、現在でも、骨董店や中国陶器の店先へ行くと、必ず数点は並んでいる。漆の特性と工法は、この堆朱からもよく察せられる。





 余談になるが、椀や重箱など、あらゆる漆芸品の質が、時代とともにひどく低介してきている最大の原因は、特上漆を使ったり、何度も何度も重ね塗りしていたのでは、市場価値の上で大衆性を失うところから、いきおい、見てくれだけの仕上げが多いということだ。したがって、簡単に変色したり、剥げたり、ひびが入ったりで、却って、実用性までも薄弱にしてしまっている。

 私などは、家庭用の汁椀ひとつ買うにも、骨董店を探して、新品同様の、古い出物を求めることにしている。新品よりも安価で、遥かに良質のものが得られるように思う。





 糸止めを終ったら、いち早くムロへ入れる。肉眼にはとまらなくても、空中には無数の塵埃が浮遊しているから、それを絶縁するためにも、ムロの中へ密閉することが必要だ。

 乾燥の早さは、前にも述べた通り、季節によって全くまちまちだが、米を焚くのと同じで、途中、蓋をあけて乾燥の程度を確かめるなどは禁物である。表面がまだ未乾燥のうちに、外気にあたると、そこだけ、かすれたように艶を失い、水焼けと同じようなムラを生ずる。漆の敏感さは、かすかな人間の呼吸にも容易に変化するから、少なくとも表面がはっきり乾燥するまでは、待たなければならない。

 乾燥を俟って二度目の漆をかける。勿論、仕上げの色の漆である。それが乾いたところで、「糸切り」をやる。糸巻きのとき、糸を巻かない部分にも、糸をあらけて巻きつないであるので、漆を塗ってない不必要な糸を切って捨てるのである。糸の切口が、ともするとそこから剥がれ易いから、糸切りは、やはり、漆を二度かけたあとの方が良いようだ。

 糸巻きのとき、不要部分を巻きつながないで、口巻き・節巻き・二重輪・五分輪、それぞれの箇所ごとに、糸を端止(はしど)めしておけば、この糸切りは、勿論やらなくてすむ。量産でなければ、仕事は面倒でも、いちいち端止めした方が、やはり良心的であろう。

 漆が目印の線からはみ出したりして、竹肌が汚れた場合は片刃剃刀の背中などで軽く削ると、竹肌をいためないで漆だけを取り除くことができる。

 今度は、糸を巻いた部分の、つまり漆を塗った部分の両端に、すっきりと、鋭い細い線を、漆で毛引きする。うさぎのひげの、くせのないものをえらび、右手で、ひげに漆をつけ、その細い尖端を段違(だんち)の箇所にあてがい、左手で竹を廻し、ひげをまきつかせつつ、スッと引き抜く。これは、なかなか熟練を要する作業で、毛先が慄えて、簡単には段違のところへ乗せにくい。少しでも暇を喰うと、ひげの上で漆が細かい数珠玉に別れ、引いた線は、みっともない凹凸を出してしまうことになる。

 左手で竹を廻転させながら、右手につまんだ兎のひげを漆皿につけ、皿の縁にあててスッと抜くや否や、パッと竹にあてがい、一廻転と少しで、また、スッと引き抜く。このコツが難しい。漆が少ないと線がかすれ、多いと小皺をいっぱいつくってしまう。

 しかし、兎のひげとはうまいものを考えついたもので、熟練工は実にきっぱりとした、勢いのよい美しい直線を引くから妙である。この辺の呼吸は、竿の調子に関係がないだけに、年期の入った、叩き上げた腕には敵わない。





 ひげの代りに、極細の毛筆を用いて線がきする方法も二、三あるが、これは、ひげ以上に熟練を要するのではないか。毛引きを終ったら、勿論、これもムロへ入れて乾燥させる。





 次は、水ペーパーによる「研ぎ出し」である。もっとも、漆はまだ二回重ねただけだから、十分糸目が見える。研(と)ぎだしといっても、糸まで磨いではなんにもならないから、もう一、二度漆を重ねてから研ぎだしにかかる場合もある。

 研ぎだしはいずれにしても、軽く、力を加えないで、ただ乗せたままペーパーを動かす感じで行うのが要領だ。





 以後仕上げまで、塗っては、ムロへ入れ、取りだしては研ぎ、また塗ってはムロへ入れ、また研ぎだしと、何度でも繰り返すのだが、概ね、七回ぐらい繰り返さないことには、上等とはいえまい。並竿は、このあたりで手が抜けている。漆も上物を使わない。油のごってり混入された塗立漆などを厚塗りして研ぎだしをしないのも多い。やはり、漆は薄塗りを何度も反覆し、丹念に研ぎだしたものほど、堅固な上に、底からじんわり匂いでるような、品のある艶が現われるのである。

 研ぎだしは、はじめ、六〇〇番、八〇〇番ぐらいの水ペーパーを用い、繰り返しが進むにつれ一〇〇〇番ぐらいの、細かいものにする。水ペーパーを水に浸して、漆の上を軽く研ぐ。表面の出っ張った部分だけが減り、凹んだところは、漆の艶があるままで残る。

 回数を重ねるごとに、漆の表面は、いよいよ滑らかに仕上がっていく。この過程の中で、いつと決ったわけではないが、漆を三、四回かけたあたりで、握りを塗る。握りは、普通二回ほどでよいと思うが、第一回目は、朱合漆などをテレピン油で薄めたものを、たっぷりと塗る。薄められた漆は、糸を浸し、新聞紙の底まで浸透して、乾燥したあとは、きっぱりと引き緊る。色は薄ぼけているが、これは、二回目の仕上げ塗りで、好みの色に調整する。