琵琶湖の釣り(3)
今津の源五郎
へらぶなという魚は、琵琶湖の源五郎鮒と、真鮒の交配から生まれた新種だと、俗には言われている。本当のことは、はっきりしない。源五郎鮒は、網にはかかるが釣りの鉤(はり)にはかからないとよく言われていた。そこで、関東の釣師も加わって、琵琶湖の源五郎鮒に挑戦したことがある。
湖水の沖合に簀立てをしたものを「えり」と称し、中に魚をいれて釣師に釣らせていた。「えり釣り」と言われ、なかなか人気があった。いわば、湖上の釣堀である。何回か熱烈な試釣が行なわれて、鯉や真鮒はいくらでも釣れたが、源五郎はついに誰の鉤にもかからなかった。釣師にとっては幻の魚である。それにしても、へらぶなはいる筈であった。南岸の穴村方面、西岸の堅田、雄琴にも行ったが、その都度あぶれであった。ひとつには、仕事の都合で、時季にめぐまれなかったこともある。釣れたというニュースはきいたが、せいぜい数尾という程度であった。
富士五湖のひとつに西湖(さいこ)というのがある。精進湖(しょうじこ)は、早くから山上湖のへらぶな釣りのメッカとして騒がれていたが、他の湖では釣れなかった。西湖は水あくまでも清く、溶岩地帯の上から見ると、大型のへらぶなの群遊に出会うこと屡々で、仲間とともに勢い込んで出かけたが、餌には全く寄りつきもしなかった。その西湖が、今や至るところ、魅惑の釣場として人気を集めている。山中湖も同じである。釣師が反復、餌を落とすことで、餌付けが利き、ようやく釣れはじまるのではないかとも言われている。源五郎鮒にも、そうした事情があてはまるかどうか。
あるとき、湖西の奥の餐庭野(あいばの)という、元陸軍の演習地で、映画のロケーションがあった。撮影隊の根拠地は、江若鉄道の終点、今津の町であった。町の裏に、湖から水つづきの沼があった。いちめんに葦が生い茂り、絶好の釣場と見えた。沼の畔を行くと、葦を刈り込み水藻をあけて釣座の跡がある。仕事の終わった夕暮どき、私は、よくそこで釣った。丸々と肥った、沼色の黒い鮒が、二時間ほどで、五、六枚は必ず出た。どう見ても、へらぶなの体型である。
ある夕方、土地の釣師が現れた。のべ竿にみみずの餌である。私は釣れたが、彼は全然釣れない。彼は驚いて言った。
「餌はなんですか、その変なもの?」
「芋羊羹です」
「ヨーカン? 羊羹でつるんですか?」
「いえ、芋で釣るんですよ、へらぶなは」
「へえ、羊羹を喰うんですかねえ、源五郎が!」
「本当は、さつま芋の素練りなんですがね、羊羹は急場の応用です」
彼は、地元の中学の先生であった。今度は私がきいた。
「これは、間違いなく、へらぶなだと思うんですが」
「いや、源五郎ですよ、こいつは」
「でも、源五郎は、絶対釣鉤には来ないということですが」
「だって、事実、釣れてるじゃないですが」
「だから私は、へらぶなだと思うんですよ」
「へえ、へらぶななんて魚が琵琶湖にいるんですか?」
「いる筈です。釣った人があるんですから」
「へえ。でも、この辺じゃ、みんな源五郎と言ってるんですがね」
いずれにしても、琵琶湖のへらぶなには、このときが初対面であった。ひょっとして、幻の源五郎であったかも知れぬと思うと、私の喜びは一層深かった。
彼は、夜分、宿へ遊びに来るようになった。釣りの話で持ち切りであったが、海釣りの話は、殊のほか彼を喜ばせた。若狭の海も遠くないことから、是非近いうち挑戦してみたいと、彼は瞳を輝かせた。いよいよお別れの日、彼は手造りの鮒ずしを持ってきてくれた。鮒ずしは、近江の珍味として名も高く、まして手造りであれば、一層貴重である。私はいたく感激して、帰りつくと早速開いてみて驚いた。その生臭く、うす汚いこと、およそ珍味などというものではなかった。迂闊にも私は、鮒の切身を上に乗せた、寿司の一種だと思っていたのである。のちに、京都の料亭で、おそるおそる試食してみて、なるほど、天下の珍味だと合点するまで、鮒ずしと聞いただけで私は身慄いしたものである。鮒ずしは、仕上げに一年の手間を要する貴重品であることもようやく納得が行き、大津の名代の店を教わり、わざわざ買いに行ったこともある。聞けば、名のある料亭では、それぞれに味を手直しして客に供するという。いくら本場ものでも、農家の手造りは、やはり、下手であった。琵琶湖の特産の鮒ずしも、今は原料難で、遠く岡山県の小島湖あたりに供給を仰いでいると聞いたのは、つい最近のことである。
私は、今津の池を忘れなかった。数年たったある日、私は十分に支度を整えて今津へ向かった。恋い焦がれた源五郎との再開である。私は胸をときめかして、船を漕ぎだし、屈強な葦間に船をとめ、いよいよ釣りをはじめようとすると、子供がなにやら岡から叫んでいる。
「静かにしてくれよ、魚が逃げちまうよ」
「釣ったらあかんのやて。釣ったら怒られるいうとんやないかい」
うすうす、そんな気がしていたのである。やはりこの池は、個人の所有であったのかと、急いで船を返し、方々訊ね歩いて、ようやく持ち主を探しあてた。
「池、荒らされて仕様がおへんのでな、誰にも釣らさんことにしとりますのや」
いかにも温和な御主人の人柄に、私は無理にとも言いかねていると、若い娘さんが、私の顔を見知っていてくれた。
「わざわざ遠くから来てくれはったんし、ま、どうぞ、なんぼでも釣っとくれやす」
私は何度も頭を下げ、勇躍釣場へとって返したが、どういうわけか、じゃみばかりで、へらぶなは遂に釣れなかった。船をすて、実績のある、かつての葦の岡釣りにかかってみたが、これもあぶれであった。時季が悪いのだと、あとで、その持主にきかされた。
「あんたさんなら、いつでも来とくんなはれ、いつでもお待ちしてまっさかいにな」
いまだに忘れられない池と人であるが、時代はいよいよ目まぐるしく、その後、ついぞ今津を訪れる機会にめぐまれないでいる。