落水記(1)
磯山川
潮来(いたこ)の町から、北利根川を渡ると、有名な十二橋である。歌の文句の通り、季節には、あやめの咲き匂う、水郷独特の情緒であるが、近年はあやめも枯れ、徒に観光客をがっかりさせているらしい。十二橋をすぎると、やがて磯山川に突き当る。細い川で、ところどころに農家が点在し、初夏には、可憐なジャランボの花が浮いて、昔は、鮒の名場所であった。
その日は丸江湖で釣っていたのだが、田圃の中の吹きさらしの大江湖で、ひとたび風が出ると、たちまち湖面が荒れて釣にならない。当時はまだ船外機の流行する前で、風の中を、棹をさし、櫓を漕いで与田浦をわたり、新左ヱ門の吐出しを入り、磯山川へ着く頃には、汗だくであった。豚小屋前と称するポイントがあり、そこだけが、農家の陰になって風を避けていた。豚の鼻を鳴らすのと臭いのが難で、普通は大嫌いなポイントであったが、風には勝てなかった。ここだけは、水面も滑らかで、浮子の動きもよく読みとれる。ぽつりぽつりと、間遠(まどお)ながら釣れはじまり、それから暫くは、無心の三昧境である。
突然、大きな胴間声がひびいてきた。
「爺(とつ)さまよう。お前んちの婿衆がよう、ゆんべはえれえ御手柄だったちゅうじゃねえか」
対岸の辺地(へち)伝いに、若い農夫がひとり、農舟(さっぱ)に棹をさしてやってくる。
「あんだと? お前誰だい?」
遥かに遠い田圃から、腰をのばして答えたのは、老人の嗄れ声である。
「誰だはなかっぺ。新田(しんでん)の吉ヱ門だよう」
「へえ、おッたまげたなあ、吉ヱ門とは。あんまり若えんでよ、とても三人の子持ちとは見えねえもんなあ」
「三人じゃねえ、四人だよう」
二人は大口をあいて笑った。農舟は、ゆっくりと、私の釣座の前にさしかかっていた。
と、そのときである。船の先端が、とんと、小さな杭に突きあたった。すると舳先(おもて)に立っていた吉ヱ門が、よろけもしないで、立っていたそのままの姿勢で、すとんと水に落ちた。辺地のことで水深は浅く、膝下が水にかくれた。子供の頃の玩具に、丸い輪を何段にも積み、その上に達磨をのせ、木槌で丸輪のひとつを、横からとんと叩くと、達磨は、身揺ぎもしないで、すとんと一段落ちる。ちょうどあれである。
私がはっと思ったとき、吉ヱ門は、水の中でもう次の会話をはじめていた。落水は、それまでの風景の流れの中の、ひとつの破調であった。間(ま)でもあった筈だが、会話だけは、滑らかにつづいていた。
「お前んとこの婿衆がよう、わるさする奴、捕まえたちゅうじゃねえか。どこもんだい、そいつら?」
「分んねえ。逃げられたちゅうだよ。まっ暗闇で、顔も分んなかったとよ」
吉ヱ門は、いつの間に船に上がったのであろう。船はまた、静かに動きはじめていた。
「惜しいことをしたもんだ。何せ奴等、エンジン持ってやがるからな。逃げ足の早えこと、普通のこんじゃ、とてもかなわねえ」
「んだからよ、警察じゃ、でけえエンジン買ったつう話だ」
「駄目だあ。奴等、もっとでっけえエンジンつけるにきまってる。鼬(いたち)ごっこだあ」
「ちげえねえ。儲かるのは、エンジン屋ばっかりだあ」
そこでまた、大笑いになった。
「んじゃ、まあ、ごめんなして」
「おいよ」
あとは、ぷつりと会話が切れた。吉ヱ門は振り向きもしない。農舟(さっぱ)は、静かに遠ざかって行く。
夢見るような美しさであった。時間の停止である。私は、ただぼんやりと見惚れていたらしい。我に戻ってみると、背中ではあいかわらず豚が鳴いている。風は少しおさまったらしい。農舟のたてた波紋が、幾重にも皺になって浮子をゆらめかせている。ジャランボの花が、ゆらゆらと波に浮き沈みしている。ふと私は、胸の中にこみ上げてくるものがあり、一人、声を立てて笑い出していた。
すとんと水に落ちた、あの絶妙の間合の美しさ。それが可笑しいのである。吉ヱ門という名前も立派であった。
爺さまの婿が取り逃がしたというのは、電気で魚をとる密漁船のことである。電気漁は、もちろん法律によって禁じられている。密猟者は、いつも遠くの村から夜陰に乗じてやってきた。憎い漁場荒しを捕らえようと、地元では躍起になるのだが、まず捕ったためしがない。それにしても、法を破ってまでして鮒や鯉をとり、さて、それがどれほどの稼ぎになるというのだろう。日本の農村の、伝統的な貧しさを覗きみる思いに暗澹とさせられるのである。折角の、あの、落水の美しい瞬間が、たちまち、色あせて行くのは、いかにも情けなかった。
ただひとつ、棹は普通、艫(とも)に立って、船の片側だけにさすのが定法である。舳先(おもて)に立つと、左右交互に棹をさしても、船は蛇行の形となる。なぜあのとき、吉ヱ門殿が舳先に立っていたのか、これだけは、いつまでも不思議として残った。強い横風を受けていたのが理由であると分かったのは、ずっとのちのことである。