へら竿のすべて(9)
竿は生きもの
私は海釣りに凝っている頃から竿が好きで横浜式の手ばね竿などは何本もつくった。見かけは悪くとも、実際には結構役に立ったものである。
ふとしたことから、へら竿をつくろうとしたこともある。しかし、あまりの手剛さに、あっさり兜を脱いでしまったことがある。いま思えば、そのころ、あと一歩の情熱があったならばと悔やまれるのだが、以来、へら竿讃美の念は異常なまでに高まったのを憶えている。釣具店をはじめたのも、営業というよりも、へらぶな釣りに対する愛着、特にへら竿に対する関心が中心であった。店頭に入荷したへら竿は、必ずといってよいほど、全部つないでみて、同志とともに、あれこれ議論を戦わすのが愉しみであった。
やや手遅れの感があるが、縁あって竿つくりの手習いをはじめるに及んで、いかにへら竿というものが、根深い根底に立ち、いかに執拗な、修験者の如き追求心によって発達し、成り立っているかという事実に、改めて思いあたることとなった。
へらぶな釣りは、最近目ざましいブームとなり、釣り場は狭くなり、資源の欠乏が問題になるほどの盛況をきたしている中で、ふと気付いてみると、私は孤独であった。それは、へら竿に対する大方の釣師の、関心薄(うす)、研究不足である。浮子の研究、餌の研究、釣り場の開拓、魚族の保護と、釣師の追求心は日に月に進んでいるが、へら竿に対する認識だけは、一向に進んでいる形跡がない。
へら竿というものは、へらぶな釣りの根幹をなす、最大の重点(ポイント)ではないのか。
へら竿というものに、もう少し釣師の愛情を振り向けてもらいたい一念がこの文章となったわけだが、といって、竿作りの実際をひとつひとつ具体的に書くつもりは毛頭なく、出来るだけ肩の凝らない読み物をと計画したのだが、いざ書きはじめてみると、やはり竿作りの実際を抜きにしては、へら竿作りの本質も発達の歴史も理解出来るはずがないと思いあたり、一応、工程を追って、その概略を終ったわけである。こんな面倒な文章を、はたして何人の友がよんでくれるものか、私はしばしば悲観し、筆も渋りがちであった。しかし、一人でも二人でも共鳴者があれば、以て瞑すべしと思い、ここまでつづけてきた。
お察しの通りだと思うが、私が書いてきたことは、殆ど受け売りである。門前の小僧の経読みであって、私が研究し、独創し、開拓したことなどは、ただのひとつもない。羽田旭匠師をはじめ、源竿師さん、竿春さんたちから聞きかじったり、見かじったりしたことの受け売りにつきものの半可通(はんかつう)、取りちがいは山とあるに違いない。誤りは、勿論いつか訂正しなくてはならないが、誤りを犯してもなお訴えたかった私の気持だけは分っていただきたい。
技術の世界は恐ろしいもので、長年にわたり日夜研鑽しても、技術に限(き)りはない。といって理論がなければ、年期ばかり積んでも、ただの職人芸に終ってしまう。
ここが、作家(アーティスト)と職人(アーチザン)の岐れるところで、問題は、人間の魂に関連してくるのだが、技術のない作家もあれば、魂のない職人もある。作家であるからこそ高い技術に達する場合もあり、職人はどこまで行っても職人的な技術に留まる場合もある。職人芸がどこかで吹っ切れて、いつしか作家たり得る例もあり、あまりにも拙劣な技術の作家が、ただの職人芸に及ばない例もある。
いずれにしても、技術を伴わない理屈ほど空疎なものはない。
私など、へら竿に関しては、その空疎の最たるもので、この空しさは、私の専門である演技の世界に照らしてみて、実にはっきりと浮かび上ってくる。見かけばかりはどうやら一人前の竿に見えても、竿作りの三大ポイント、原材の選別と管理、生地合わせ、火入れに関しては、まったくの子供だましである。私が頑固なまでに自作の竿を手もとに閉じこめているのは、もっぱらこの理由によるのだが、演技にたとえていえば、脚本に対するかくかくの解釈、役の人物に対するかくかくの把握から、私はかくかくの演技をしているのだ、といくら叫んでいても、肝心の技術がそれを裏切ったのでは、人を感動させることなど、思いもよらないことだ。
勿論、へら竿というものは、釣師に可愛いがられるただの釣竿であってよいし、ただそれだけのものかも知れない。釣師は、竿を買い上げる側の顧客であり、竿師は、旦那衆の引き立てによって営業をまかなう人気稼業であるかも知れない。
しかし、たとえば、羽田旭匠師のような、もともと作家的な魂によって追求されたへら竿の研究の行きついたところには、へら竿が、独立独歩の作品として、独自の個性を主張するに至ったのであり、わたしたち釣師は、旦那衆の高みからではなく、いやでも真正面から、対等の立場で、つまり、作家と批評家の対面という形で、正当に受けとめることを余儀なくされる。
行きずりに路傍の石を蹴るような、子供っぽい、思い上がった旦那面ではなく、科学的な、高い批評精神を身につけた上で、へら竿に対さなくてはならない。そのような、面倒臭い手続きを要求するのが、良い作品というものの本質であって、銭湯のペンキ絵は、絵としての権利を主張しはしないのである。
へら竿が、ひとつの作品である場合、それはもう作家から離れた、一個の厳然たる存在として独立しているのであり、評価の如何にかかわらず、独立の価値を内蔵しているのであり、釣師の単なる気紛れな、嗜好だけでは料理しきれなくなってくる。
釣りなんてものは、たかが遊びではないか。竿つくりの苦心にしたって、所詮は遊びのための竿つくり、しかつめらしく考えるほどのものでもあるまい、というのが、いわば、世間の常識であって、そのようにしか考えない人は、それでもよいのであり、私など躍起になることもないのだが、絵にしても彫刻にしても、それがなくては人間餓死するわけのものではない、というような考えのひとには、銭湯のペンキ絵もゴッホの絵も同じに見えてしまう理屈だ。
たかが、竿にすぎないはずのへら竿は、わたしたち釣師が怠けている間に実は異常な発達をとげているのであって、いまや竿師の中にも、ただの職人でない作家が現われ、ただのレジャー用品から抜け出た、作品というにふさわしいへら竿も生まれてきている。味噌も糞も一緒に同じ爼上にのせるような杜撰(ずさん)な感覚の釣師がいるとすれば、その人の釣りも、やはり、杜撰のそしりをまぬがれないのではないか。
本来作品というものは、その作品がすべてであり一切の解釈を必要としない。作品の評価はどこまでも良いものは良い、悪いものは悪いにつきるのであって、紛らわしいことはひとつもないはずだが、現実には、それを評価する側の、人生観・知識・愛情によって、極めて紛らわしく、まちまちになってくる。
盲千人という言葉もある。しかし、いかに紛らわしくとも誰のどの竿が、どの程度世間に受け入れられ、人気があるか、要するに世の中での実際の流通度が、ひとつの評価として自然に定まってくる。しかし、これとても、経済的な市場の仕組に深く関係のあることで、決して、本質的な絶対的な評価とはいい切れない。悪貨が良貨を駆逐するのは、むしろ自然の勢いともいえるくらいで、テレビの視聴率などは、そのよい例だ。
作者銘を隠して竿の品評会をやる試みも、視聴率調査のひとつの便法ではあるかも知れないが、視聴率の良いもの、直ちに良いものとは断定できまい。やはりつくる側にも、受けとる側にも確固とした見識が、要求されるわけだ。
思えば、およそ、ものを作り出そうという作家精神にとって、世間の味噌糞混同ほど腸(はらわた)の煮えることはあるまい。特に先駆的な作家にとっては、自ら孤独の道と思い知っているつもりでも、あまりの無理解さに対しては、やはり、ときに牙をむき、怒りをぶちまける。しかし、顧客(おとくい)を以て任ずる世間の方では、もってのほかの傲岸不遜、とんでもない思い上りとして、反撃を加える。しかもそれを、作家の人間性のせいにする。旭匠師など、もっぱら狷介なる性格として誤解されるいい例だが、作家的精神と世俗的理解の間には、明らかに断絶がある。この断絶が、へら竿に対する正当な研究と理解を妨げていることは、誰も気付いてはいないのではないか。
これはひとつの挿話にすぎないが、あるとき、東京の会の有志が旭匠師を東京へ招待した。孤舟の素晴しさはよく分っているのだが、何といっても旭匠師の在住は大阪であり、釣り場が殆ど釣り堀に限られている。野釣りを主体とする関東のへら師にとっては、孤舟必ずしも万全の竿ではなかった。
これは、やはり、現実に関東の野釣りを旭匠師にも体験してもらい、その結果を竿に反映してもらうのが一番の近道ではないか。
発案の主旨は、大体そんなところであったと思うが、旭匠師の応諾を得て、有志は、山上湖・水郷地帯その他の試釣行、竿に関する座談会など、いろいろにスケジュールを組んで迎えた。
ところが、いざ蓋をあけてみると、旭匠師は早朝から宿をぬけ出して不在、勘のいい増田逸魚君が見当をつけて行ってみると、はたして小池の釣り堀で旭匠師が釣っている。釣りを見学することしばし、やがて逸魚君、
「ほう、こりゃいい竿だ……」
とばかり、心やすだてに竿袋から竿を引き出して、鑑賞をはじめる。
「無礼者奴! 竿といえば、かりにも武士の腰のもの、土足でふみ込むとは以てのほか!」
と、旭匠師の一喝が、あったとか、なかったとかの一幕を加えて、要するに、野釣行の計画は殆どつぶれてしまった。
詳しい経緯は、どうでもよい。辞を低うして教えを乞う形の招待ではあったが、実は、関東の釣りを教えてやろうという意気込みが、私たちの側になかったとはいえない点が、実は、この挿話の第一の意味だとわたしは思う。孤独な作家にとって、上京第一夜に発見したものは何であったか。
「お前もか、ブルータス!」
またしても、釣師たちの、思い上った、少なくともそう映ったであろう、旦那面であったにちがいない。
さらに、釣り堀と野釣りに対する、お互いの感覚のずれである。野釣りの方が高級であり本筋であるとする関東勢の誇りは、やはり、一種の思い上りではなかったか。へら竿の正しい評価を、釣師の姿勢が狂わせている例はあまりにも多い。容易に破損したり、腰が抜けたりするような脆弱な竿は、勿論良い竿とは言えないが、釣師の強引な操作、不合理な管理によって、自ら破損し、腰を抜いたからといって、これは竿師の責任ではあるまい。修理に帰ってきた竿を見れば、その釣師の釣りのすべてが見透かせるはずで、竿師に、危険人物としてマークされる釣師は意外に多いはずだ。
竿の調子に対する釣師の感覚についても、合せたら、力まかせに一気に手許まで引きよせねば気の済まない能率主義者にとっては、実は調子などどうでもよいのであって、ただ強竿でありさえすれば事は足りる。あえて、へら竿を必要としないかも知れない。
へら竿はあくまで、へらぶなという魚の生態、習性に応じて、魚が大であれば大なりに、小であれば小なりに、合理的に、力にたよらなくとも容易に、しかも能率的に、愉しく、品よく釣るために、その独特の釣りの味をいよいよ深く高くするために考案され、発達したものであり、どこまでも、実際と理論によって裏付けられていることを知るべきである。
野釣りと釣り堀とを問わず、へらぶな釣りの実際の、すべてをカバーするためには、長短さまざまの調子の竿が用意されている。釣り場の、その時の条件によって竿をつかいわけるのは常識だが、その時えらんだその竿に合せた釣りを考えるひとは全く少ない。
釣師はみんな個性的である。しかし、竿を度外視しては、本当の個性は育たないだろう。釣師の個性が、へら竿を選択しているように見えていながら、実は、肝心の個性のほうが手薄だったりする。目下のところ、釣師の自信は、もっぱら漁獲高によってのみ支えられている傾向が強いのは、寂しい限りである。
竿は生きものである。竿というものに深く思いをひそめるならば、いやでも、この実感に行きあたる。竿の素材である竹は、切り取った時に一応死んだともいえるわけで、もはや地上にあるときのような意味での生長は止まっているかもしれない。しかし、細心な管理と火入れによって、一段と、その驚嘆すべき特性を高められ、安定された竹は、すぐれた生地合せによって、それぞれの継ぎが有機的に作動し合い、絶妙のバランスを発揮するとなると、たちまち、みずみずしい生命を顕現してくる。そして、その生命は、竿が、静物として横たえられている時にではなく、動物として、釣師に操られるときにこそ、脈々と息づく点が、最も大切である。
竿は、作品として独立し、作者の手を離れてのちも、生きもののように、生きつづけるのである。それは全く、人間の体にたとえてもよいのであって、平生の適当な管理と点検、正しい使用法を誤れば、たちまち、生命力はうすれてしまう。何度もいうように、へら竿はバランスの権化であるべきだから、釣師はあくまでも、そのバランスに頼り、つきしたがい、バランスの妙をいっそう美しく発揮させるような角度で、竿を操作しなければならない。いやしくも、バランスを阻害するような無理な操作は、絶対に慎しまなければならない。自らの手で、無理な乱暴をやっておきながら、折れたの曲ったのと、罪を竿師に着せる前に、釣師は自らの釣りを、もう一度振りかえってみたいものである。竿は、釣師によって生きもし、死にもする。もちろんこれは、釣師の、竿に対する愛情の問題でもあるのだが、愛情だけで足りることではないらしい。やはり、その愛情を一歩深めて、竿に対する正当な理解と研究に立ち向うべきであると思う。
平生の竿の管理が大切なことは勿論である。
要点はたったひとつ。せっかく竿師が、火入れその他粒々辛苦の作業によって竹を再編成し、最高に機能を発揮出来るよう竹を安定してくれているのだから、私たちは、それを損わぬよう、いってみれば竿師の作業の延長線上に立って、管理するということだ。
過分な水分、過分な油を与えないこと。竹は、水分も油もよく吸うものだ。いったん使用した竿は、竿袋から取り出し、継ぎを一本ずつ抜き出し、湿気のない、ひっそりとした、静かに風の通る日蔭に干しておくこと、これはもう誰でも承知のこと。
竿架(さおかけ)の角(つの)の間隔が開きすぎていては曲りが出る。間仕切りに立てかけるにしても、あまり斜めになるようでは、やはり曲りが出るだろう。竿の上に竿を重ねたり、竿のバッグに、蝙蝠(こうもり)傘などと一緒に竿をぎゅう詰めにしたり、こんなことにも神経を使いたい。案外うっかりしているが、冬季の暖房は大敵である。部屋の欄間にのっている竿は、天井近くに集中する暖気によって異常乾燥され、暖房を切ったあとでは異常冷却され、その反復によって簡単に殺されてしまう。
また、よく油をべたべたと塗り、玉口の中にまで油を流しこむひとがある。油をしみこませておけば水を吸わないであろう。あるいは、油を切らせては竹の弾性が失われるであろうという考えからにちがいないのだが、何のために竿師が火入れをするのか、火入れとは、不用の油をぬくことである。その辺をよく考えていただきたいと思う。これでは、竿は台なしである。修理の火入れをしてみると、ふっふっと油が浮いてきてどうにもなるものではない。
竹の肌があまりにもかさついた場合は、軽く油を塗り、塗ったそばから、乾いた布でよく拭きとっておく程度でよい。普通は、汚れを落としたあと、カラぶきんで丹念に拭くだけでよい。
もっとも大切なことは、異常を認めた場合は、ただちに修理に出すことだ。一旦修理に出すとなかなか戻って来ないので、つい一寸延ばしになりがちだが、故障は小さいうちに喰いとめ、一日も早く健全にしておかなければならないのは、人体と全く同じで、早期発見と早期治療は、竿の管理としては最大のポイントである。
出来たての竿は、まだその竿本来の真価を発揮し得ないと見るべきで、竿の生命のほんとうの燃焼は、少なくとも三年や五年の、釣師の手厚い管理と、竿師の行き届いた修理を俟って、初めて完成されることを、ここで改めて強調しておきたい。
心ある作者は、竿として一応完成したのちも、せめて数年は手許におき、ゆっくりその竿の運命を見極めたのちに市場に出したいと思っている筈だが、需要の激しさがそれを許さないのが現状だとすれば、今や釣師が、その責任を負ってもよいのではなかろうか。
竿の修理について一言ふれておこう。まず修理に時間がかかるということ。修理を受付けた小売店が、何本かたまったところで、問屋(仲買人)に渡し、問屋が、方々の小売店からある程度集まったところで、竿師へ持って行く。
これだけでも日数がかかる。竿師は、計画的に次々と作業をつづけている流れの中で、切りのいいところを見て修理をする。
修理の程度は、それこそ千差万別で、いってみれば竿作りのあらゆる段階が全部あるといってもよい。糸巻きもあれば、漆もあり、火入れあり、生地合せあり、一本一本組別に、相違した作業を行うわけで、良心的に、悪い箇所を全部完全に直すとなれば、驚くほどの手間と暇と技術を要することだ。一本新しく作った方が早い場合さえある。しかも、今までの慣習上、そう高い修理代も請求しにくい。一方、新製品の催促は矢のようにくる。これはどうしても日数をくうのが当然で、ある程度、釣師の側は忍耐しなければならないのが実状である。
修理の仕事など面白いはずがなく、まして大した金にもならないとあっては、竿師が修理を面倒臭がるのがあたり前、という風な見方をする釣師もあるようだが、これははなはだしい認識不足であることを附け加えておきたい。営業本位の量産家はいざしらず、一本一本に思いをこめている作家ならば、修理に帰ってきた竿は、いわば、嫁にやった、可愛い娘の里帰りのようなもので、歓迎こそすれ、仮りにも面倒臭いと思うはずがない。こんな哀れな姿で帰してよこすとは、と釣師の無惨な仕打ちに腹を立てることもあるだろうが、だからといって、もう面倒は見てやらないとは、我が子に向って誰も言えまい。良心的な作家ならば、修理には一層の良心と精力を傾注するはずで、修理を終った竿は、さらに一段とよい竿になっていること請合、そこまでの修理が出来るということは、大変な技術であり、大変な労働であることを、釣師はあまりにも見のがしてはいないか。
日数がかかるの、修理代が高いのと、よく耳にするが、仕事をよく見てから言うべきではなかろうか。竿の破損の原因が、釣師の側にある場合が圧倒的に多いことを考え併せればなおさらのことである。
次は、竿の値段について。
竿は高い、とよくいわれる。銘竿といわれる程の竿は、まことに良いには違いないが、それにしても、ちと高すぎる、と釣師はぼやく。この感覚はどうやら、竿師および竿というものが、一般社会の中で占めてきた、在来の地位の低さから来ているように思う。この自由主義経済の中では、自由競争の結果、需給のバランスの落着いたところに市場価値が、定まってくる。低い市場価値しか認められなかったバランスの中に、竿がかつて在ったということ。それにつれて、竿師の社会的地位も低く、作家としての見識も技術も低かったという事実が、私たちの頭に長年しみこんでいる。しかし、私たちはもうこの辺で、固定観念から脱け出さなくてはならないだろう。何故なら、作家というにふさわしいりっぱな竿師が出現していること、作品というに相応しい驚嘆すべきへら竿が現実に生まれていること、それを認める釣師の数が圧倒的に増大したこと。
昔は昔である。公正に竿の現実を見るならば、他の製品に比べて、竿の値段ばかりが、高騰したとは決して言えないのではないか。むしろ、竿というものに対する蔑視の念が、依然として竿の値段に対する正当な感覚を妨げているといってよい。
たとえば、陶器だ。一個百円の茶わんもあれば、何十万、何百万もする茶わんもある。まさか飯の味が変るはずもなし、実用性だけでは、陶器の良否は決められない。
作家の魂、作品の匂い、というものに敏感なひとならば、陶器に限らず、あらゆる芸術品に接して、歓びを見出すだろう。個性によって充分に裏打ちされた、かけがえのない芸術的な価値を、そこに見出すも、見出さないも、結局はそれを見る人の眼識にかかってくる。分る人には分るが、分らぬ人には金輪際分らないものである、と言ってしまうのは、あまりにも身も蓋もない話で、その点にこそ、人生勉強の鍵がかくされている。人生百般、やはり勉強するに越したことはない。
すべてが機械化され、大量生産によってコストダウンされる現在でも、手造り以外に真価を発揮し得ないものがまだまだ沢山ある。最近私は、瀬戸内晴美さんの『一筋の道』をよみ、いまや後継者もなく、やがてこの世から滅びようとしている手造りの名人芸、職人芸の実態に接し、体がひきしまり、頭の下る思いがした。竿作りもまさにそれである。高くて当り前とさえ思う。竿が良ければ、それだけ余計に魚が釣れるのかなどとは、下品極まる冗談である。百円の茶碗でも飯は喰えるのである。
そのこととは別に、私には前から疑問に思っていて、いつも堂々めぐりのあげく決して解決しないでいることがある。
それは仲買制度のことだ。竿師が仲買人(問屋)に渡し、それが小売店にわたり、そして私たちの手もとへ来るまでに、何度かの屈折があり、元値から何段にも跳ね上がっている。仲買を排して、生産者と消費者が仲良く直結出来るものならば、どちらにとってもこんな仕合せはあるまい。何とかして、そのような仕組を作ることは出来ないものだろうか、といつも夢をみる。
ひところ、全磯連の三谷さんあたりが音頭をとって、先代竿敏の磯竿を連盟で一手に買い上げ、同好者に頒けておられたようにきいているがその後どうなっているのか。
仕組をつくるのはやさしいが、永続して正しくその仕組を運営することはまことにむずかしい。日がたてば、やはりいろんな故障が現われて、そのくらいならば、いっそ仲買制度の方がまだしもということになりかねない。思えば、資本主義市場の機構は、ピンからキリまで、この仲買制度で動いているのであって、この制度が、高く売りたい、安く買いたいの、相反する利害のまとめ役として責任を背負っている。あくどい問屋は、双方から自然淘汰されるであろうし、自由競争による経済の仕組のひとつとして仲買制度があるわけでもあるし、とすれば、今更疑問を唱えるのも知恵のないことになる。
しかし、それでも私はときどき、もっと合理的な社会ではどのような形になるのであろうかと、無益な夢を見たりしている。
日本みたいに文化政策の貧しい国では思いもよらぬことだが、手造りによる民族独自の生産に対しては、手厚い国家の保護があるべきではないのか。竹による竿作りもそのひとつで、竿師は、本数に追われることなく、安心して、納得の行くまで製作に埋没出来るよう、そして釣師の側は、その時代の生活のベースから見て、決して無理のない値段で銘竿に接する機会に恵まれるよう。これはあながち、私だけの飛び上がった夢ではないと思う。
現にグラス竿の出現によって、若い竿師は、グラス竿工場へ吸収されたりして、いよいよまともな修業者が減っている。トップクラスのわずかな現役を除いては、まことに寥々(りょうりょう)として後継者ありとも見えないのが現状である。
ついでに、グラス竿について簡単にふれておこう。
これはもう、大方の釣師によって結論が出ている通りだと思う。どうやら使えるのは十二尺ぐらいまでで、それ以上の長竿になると、へら竿の醍醐味は全然感じられないという。
穂先と穂持を竹に取り替えると調子が出るともいわれている。長竿ともなれば、三番も竹に替えた方がよろしいということになる。これは当り前のことで、そこまで行くならば、何もグラスでなければならんという理屈はなくなる。やはりグラス竿はまだまだというのが正直のところのようだ。というと、グラス竿のメーカー、グラス竿の愛用者のお叱りを受けるかも知れないが、竹とともに育ち、竹によってこそ飛躍し得たへら竿の歴史から考えても、近頃やっと脚光を浴びたばかりの加工物が、ただちにその素材として役に立つとは、あり得ないことではないか。
グラス竿が、はたして将来理想的なへら竿たり得るかどうか、竹製のへら竿を凌ぎ得るものかどうか、これは将来のビジョンである限り、今は誰にもいえないことだろう。
値段が安いこと、管理が容易なこともあって、グラス竿は大いにのびている。へら竿以外のリール竿、特に磯竿、トローリング竿などは、殆どグラス竿の独占する時代になったらしいが、へら竿ばかりは、グラスの方でもそう簡単にとっつきにくいと見えて、依然、竹に全盛を許している点は面白い。
竹がなくならない限り、竹のへら竿の王座は一向にゆるぎそうにも見えない。